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フィリピン・ダバオの小学校に寄付をします!【募集】 | 大阪の遺品整理・生前整理ならナナフク

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大阪の遺品整理・生前整理ならナナフク > 豆知識 > フィリピン・ダバオの小学校に寄付をします!【募集】

豆知識

「フィリピン・ダバオの小学校に寄付をします!【募集】」

皆様こんにちは^^

ブログをご覧いただきありがとうございます!

 

この度、ナナフクは

フィリピン、ミンタル町の学校へ通う子供達

野球チームを作りスポーツを楽しめるように

そしてピアニカ、リコーダー、お琴を

授業で使い日本のことを知ってもらえるように

それらを学校へ寄付することになりました!!

 

スポーツ用品や楽器等をお持ちの方は

是非寄付にご協力頂きたく

宜しくお願いいたします!*

 

さて、紅葉の知らせがあちこちで

見られるようになりました。

 

皇居でも、色づいた紅葉の

乾通りの一般公開を

12月1日から9日まで実施されるそうですね。

 

ちょうど今から1年前

天皇、皇后両陛下が

フィリピンのドゥテルテ大統領と

パートナーのアバンセーニャさんと

初めて会見されたのを

覚えていらっしゃいますでしょうか。

   

そこでは、戦前にフィリピンに渡った

日本人移民についてもお話され

天皇陛下が

「マニラ麻の栽培に携わったと承知しています」

とお伝えされると

ドゥテルテ大統領は

ご自身が市長を務めたダバオ市に

「数年前に日本人移民の人たちの記念碑をつくりました」

と話されたそうです。

 

 

ドゥテルテ大統領の出身地である

ダバオ市ではアジア最大級の

「日本人街」があります。

 

ドゥテルテ大統領、そしてダバオ市民の

親日感情はいったいどこからくるのでしょうか?

 

そこには、太平洋戦争前には

教科書にも載っていた

日本の偉人「太田恭三郎さん」

の存在がありました。

 

 

今回のブログでは

日本とフィリピンの歴史上

日比友好の土台形成に

多大なる貢献をされた日本人の方々と

太田恭三郎さんのストーリー

ご紹介致します!

 


【目次】

①ベンゲット道路工事

②太田恭三郎さんの活躍

ミンダナオ島への導き

④フィリピンの学校へ届ける物を集めています!

 


    

①<ベンゲット道路工事>

米西戦争の結果

フィリピンは米領となり

熱帯のフィリピンを米国人が治めるには

避暑地が必要と考え

首都マニラより北の高い山の中に

”バギオ”という新しい町を作るにあたり

全長約41kmの登山道路が建設されました。

 

 

マニラとバギオを結ぶ山脈の中でも

一番険しく、雨季ともなると

崖崩れなどの危険が伴う場所での道路工事は

多国籍の移民労働者によって建設されました。

 


そして2300人を超える日本人労働者は

特に難工事の断崖絶壁の区間を受け持ち

700人以上の犠牲者を

事故や風土病等で失いながらも

工事の完成に大きく寄与され

1905年1月ついに道路は完成しました。

 


 

太田恭三郎さんの活躍〉

生易しくない難事業を成し遂げてみせようと

辛抱強く働かれた日本人が病や怪我で

苦しんでいる様子を知って行動を起こしたのが

当時マニラに住まれていた

「太田恭三郎さん」です!

 

大田さんは、1901年よりマニラへ渡り

そこで日本雑貨の輸入業をされていました。

 

日本人渡航者たちの苦しみをみては

じっとしていられずフィリピン政府に相談し

みんなを救おうと

漁師さんからいわしを買い求められたり

梅干し、たくあん漬けなどを

たくさん送り届けました。

 

 

このことを聞いた日本人は

太田恭三郎さんへ心から感謝し元気をつけ

一生懸命に働くことが出来たと言われています。

 

 


 

③〈ミンダナオ島への導き

ところが、道路の完成後

労働移民としてフィリピンに渡った

日本人の仕事がなくなりました。

 

 

この様子を見た太田さんは

またしてもこれを救わねば、と立ち上がり

「ダバオこそ日本人の新しく働くところだ!」

と、日本人を励ましながら

仕事場を求めた日本人をダバオに導き

1907年、マニラ麻の栽培をする

太田興業株式会社を設立しました。

 

 

この会社はダバオの農業開発を

推進する原動力となり

ダバオはこの麻栽培を中心として発展し

ミンダナオ島の経済発展にもつながりました。

当時ダバオの日本人人口は2万人にも達しました。

 

そして日本人とフィリピン人

みんなが幸せになるようにと願い

学校や病院も建てられました。

 

こうして現在の日本とフィリピンの友好な関係は

太田恭三郎さんの日比を想う慈愛と行動により

深く絆が繋がれたのです。

 

その舞台となった地が

ダバオ市の「ミンタル町」

という場所です!

今でも太田恭三郎さんの

立派な記念碑が立っています。

 


④〈ミンタルの学校へ届ける物を集めています!〉

この度、ナナフクは

ミンタル町の学校へ通う子供達が

野球チームを作りスポーツを楽しめるように

そしてピアニカ、リコーダー、お琴を

授業で使い日本のことを知ってもらえるように

それらを学校へ寄付することになりました!!

 

 

日本とフィリピンのご先祖様が

協力し合い築いた友好関係を

私たちの世代も受け継ぎ

感謝と尊敬の気持ちとともに

フィリピンの子供達が喜ぶ

日本の物を届けたいと思っております!

 

そこで皆様にお願いがございます。

日本の中古の野球道具や楽器等を

お持ちの方は是非、ご協力頂きたく

ナナフクへご連絡をお願い致します!

 

ご質問、ご相談も合わせまして

お気軽にお問い合わせくださいませ。

 
【フリーダイヤル】0120-50-7729
 
【受付時間】9:00~20:00 I 年中無休
 
 
 皆様のご連絡を心よりお待ちしております!!
 
 
 
長文になりましたが最後までお読み頂き
 
誠にありがとうございます!!
 
 
 
山が美しく染まるように
 
皆様の未来も明るく幸福でありますよう
 
お祈りしております。^^

 

投稿日:2018年11月14日